4. ドレスデン爆撃
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第二次世界大戦下のヨーロッパ戦線に於いてナチス・ドイツの終焉は間近なものとなっ
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ていた。一方、極東戦線での日本は、アメリカによってその全土を焼き尽くされる運命に
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あった。
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そんな状況下の1945年2月初旬、黒海沿岸のヤルタに連合国の三首脳が一堂に会した。
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その三人とはソ連のスターリン、米のルーズベルト、英のチャーチルである。
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ヤルタ会談として知られるこの会談では、ドイツと日本について戦後処理をどうするかが
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重点的に話し合われた。
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ヨーロッパ戦線ではすでに1943年イタリアが枢軸国の中で最初に降伏、1944年6月に
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は連合軍のノルマンディ上陸作戦成功、同年8月パリは解放された。次第にナチス・ドイ
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ツは追いつめられ、もはや連合軍の優位は大局的には動かし難いものとなっていた。
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ヨーロッパ東部戦線では、ソ連軍が1943年にスターリングラードでナチス・ドイツを
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破って以来、徐々にナチス・ドイツを西へ押し戻し、その占領地を次々に解放していった。
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しかし、ヨーロッパ西部戦線では状況は少し違っていた。米英軍はアルデンヌに於けるナ
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チス・ドイツの予想外の反撃に大苦戦を余儀なくされていた。
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ヤルタ会談に先立つ1945年1月のこと、英国首相チャーチルはこの難局を打開すべく心
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ならずもソ連軍に援護を要請する羽目となった。その結果、西部戦線でも戦況は連合軍有
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利へと好転していった。
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だが、チャーチルは心の中ではいまいましく思っていた。連合国の三首脳は必ずしも一
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枚岩ではなく、共通の敵であるナチス・ドイツを叩きつぶす目的で一時的に手を組んでい
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たに過ぎなかった。所詮は水と油。共産主義と民主主義が相容れるはずはなかった。
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ソ連軍がナチス・ドイツの占領地を解放するたびに熱狂的な歓迎を受けるのを横目に見
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ながら、チャーチルはどうすればスターリンに対して一矢を報うことが出来るか思いを巡
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らしていた。
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ソ連に対して負い目を感じていたチャーチルは会談を前にしてある決心をする。それは
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スターリンにソ連地上軍支援の姿勢を見せつつも、西側軍事力の圧倒的優位性を誇示する
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事によって戦争終結後の東西関係に於いて優位に立つことであった。そのための計画を具
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現化する場所として選ばれたのはドイツ東部ザクセン州の州都であるエルベ川沿いの文化
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都市ドレスデンであった。1945年1月の時点ではドレスデンはまだ大規模な空襲を受けて
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おらずほとんど無傷に近かった。
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1945年2月13日早朝、ドレスデン上空は厚い雲に覆われていた。当初の計画では、ア
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メリカ陸軍航空軍による昼間爆撃によって空襲の口火が切られるはずであったが、悪天候
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のため出撃は一時見合わされた。天候は同日夜9時頃には回復するとの予報に基づいて、
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夜間爆撃に備えて待機していた英空軍に出撃命令が下された。
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同日午後6時、イギリス中部を飛び立った英空軍のランカスター爆撃機は午後10時過ぎ
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ドレスデンめがけて攻撃を開始した。200機を越す爆撃機から投下された焼夷弾は、瞬く
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間に街を炎で包み込んでいった。その間僅か24分の出来事だった。
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だが、英空軍による攻撃はこれだけでは終わらなかった。日付は変わり、14日午前1時
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23分、第一波の攻撃を凌ぐ2倍以上の爆撃機がドレスデン上空に飛来、今度は通常爆弾を
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投下していった。
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英空軍が攻撃を2回に分けた裏には冷酷な理由があった。最初の攻撃によって火災を発
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生させることで人々は避難を始めたり、消火作業を開始するだろう。その活動が最も活発
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になるのは爆撃からおよそ3時間後となると予想していた。混乱の極みに陥った地上に2回
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目の攻撃を加えて人々を殺すという非情な作戦であった。
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英空軍による二度の夜間爆撃で投下された焼夷弾と爆弾を合わせると、総重量2,978ト
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ンにもなった。
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連合軍は攻撃の手を緩めようとはしなかった。14日昼過ぎ、前日の悪天候のためにずっ
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と待機中であったアメリカ陸軍航空軍は、ほとんど廃墟となったドレスデンめがけて機銃
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掃射および783トンの爆弾を投下した。
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一連の爆撃によりドイツ有数の文化都市と謳われたドレスデンの面影は失われ、死者の
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数は少なく見積もっても35,000人と言われている。
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当初、ヨーロッパ戦線でのアメリカは軍事目標に対する精密爆撃にこだわり続けていた
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が、その理由は、必ずしも敵国の一般市民に対する無差別爆撃が道義に反するためだと考
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えていたからではなかった。
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広範囲な地域を爆撃して破壊するためには大きな兵力が必要であった。ここでアメリカ
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が最も問題としたのは、投入した兵力に対してそれに見合った戦果があげられるかどうか
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だった。つまり、ただ単に効率が良いか悪いかという次元でとらえていたのだ。アメリカ
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は、出来る限り少ない兵力で最大の戦果をあげるには敵の軍事目標に限定して空爆するの
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が最も効果的であると考えていた。
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ドゥーエ理論によれば、戦争を早期終結させるには敵の一般市民の士気を破壊すればよ
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いと教えている。一般市民の士気とは、わかりやすく言えば、自国政府に対してたとえ困
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難を強いられても戦争遂行を支持する気持ちあるいは単に戦意である。勿論、士気とは目
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には見えないものである。目に見えないものを破壊するとは、口で言うのは易しいが、い
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ざ実行するとなると一朝一夕に行かないのは容易に想像が付くだろう。何しろ、そんなこ
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とは何処の国も経験したことがなかったし、士気を破壊できるという確信もなかった。
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ただ一つはっきりしていたのは、戦争終結を希う程までに一般市民を恐怖のどん底に陥
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れるには生半可な攻撃では達成できないということだけだった。そのための攻撃には大量
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の爆撃機が必要だったが、第二次世界大戦に参戦した当時のアメリカにはそれだけの爆撃
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機を用意することが出来なかった。アメリカ陸軍航空軍は、無差別爆撃という選択肢を内
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に秘めながらも精密爆撃路線を歩むことになる。
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しかし、いざ精密爆撃を実行に移す段階になると、現実には思い通りにはいかないこと
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が判ってきた。その原因は理論そのものの欠陥というより、気象条件という外的要因が大
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きく影響していたのだが。
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時が経つにつれて次第に戦局は変化していった。アメリカが供給できる爆撃機の数は徐
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々に増え始めてきた。
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また、アメリカの精密爆撃は、時として失敗に終わり、精密爆撃と無差別爆撃の境界は何
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時しかあやふやなものになっていった。
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イギリスは、大戦初期の段階からドイツの都市に対する爆撃を実行していたが、それは
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ドイツから受ける脅威が原因だった。すなわち、ドイツのイギリスに対する都市爆撃やV
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ロケットの恐怖から来るものであった。
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ドイツによって国土を攻撃されたことのないアメリカは、イギリスの心情を理解してはい
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たが、表だって無差別爆撃論者になることを避けてきた。いつも損な役割を演じていたイ
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ギリスは、ことあるごとに何とかアメリカを同じ土俵に引き込もうとした。当のアメリカ
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は徐々にイギリスの圧力に対して抗しがたくなっていった。
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そうこうするうちに、連合軍の爆撃によってイタリアが降伏したことがドゥーエ理論の証
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明のようにも思えてきた。実際には確たる証拠は何もなかったが、なにやら士気を破壊す
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ることが可能ではないかという思いが強くなっていった。ソ連に対する牽制の意味であっ
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たドレスデン爆撃に加担したことも大きくアメリカに影響を与えたと言えるだろう。
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