13. 硫黄島攻防戦
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B29による日本本土爆撃が本格化する少し前から硫黄島をめぐる戦いは始まっていた。
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硫黄島の名の由来は、時代を遡ること17世紀、イギリスの探検家ゴアが1673年に太平
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洋に浮かぶちっぽけなこの火山島を訪れたときに名付けたことによる。小笠原諸島のひと
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つで、硫黄の臭いがたちこめるこの島に日本が目を向け始めたのは、それから200年近く
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も後になってからのことであった。
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1861年、日本は硫黄島の領有権を主張する。これ以前はアメリカの捕鯨船が母島にやっ
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て来たり、ペリーが黒船で来航した際に途中父島に立ち寄ったりと、アメリカが小笠原諸
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島の領有権を主張するチャンスは何度かあったが、アメリカ議会は関心を示さなかった。
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1887年、1,000人ほどの日本人が小笠原諸島へ移り住んだ。移住当初は、硫黄と少し
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ばかりの砂糖きびを生産していた。東京からおよそ1,000キロ南にある小笠原諸島は、ま
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だまだ開拓が始まったばかりのへんぴな場所だった。
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父島に日本海軍の砲台が建設されたのは、20世紀になってからである。第一次世界大戦
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中には無線基地や気象観測所が設置され、日本本土防衛の重要拠点へと次第に変貌してい
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った。当時、硫黄島には軍隊はまだ派遣されておらず、兵士たちはすべて父島に駐留して
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いた。
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1943年になると、軍司令部は硫黄島に移される。島の環境は日常生活には適していな
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かった。地表は小石か火山灰で覆われ、植物といえば少しばかりの低木か藪があるだけで、
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真水は島中探してもなかった。そんな悪環境にも関わらず、この島に司令部が置かれたの
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は、小笠原諸島の中で唯一飛行場を建設できる島であったからである。まず手始めに、千
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鳥飛行場の建設が開始された。
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1943年2月、マーシャル諸島のクウェゼリン島とエニウェトク島がアメリカ軍の手に落
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ちた。翌年の6月15日、アメリカ海兵隊はマリアナ諸島のサイパン島へ上陸を開始する。
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サイパンに続きテニアン、グアムと相次いで陥落していった。
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マリアナ諸島が敵の手に落ち、そこからB29が日本本土を攻撃可能となった今、日本に
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とって戦況は極めて不利となった。南太平洋を島伝いに北上してくるアメリカ軍の動きに
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呼応して、硫黄島を日本本土防衛の最後の砦とする工事は次第に加速度を増していった。
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栗林忠道中将率いる硫黄島守備隊とアメリカ海兵隊の間で繰り広げられた硫黄島攻防戦
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は熾烈を極めた。
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1945年2月19日午前2時、アメリカ海兵隊は硫黄島上陸作戦を開始した。当初、アメリ
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カ側は1週間以内にもこの上陸作戦は片が付くだろうと高をくくっていたが、硫黄島攻防戦
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はこの後1ヵ月以上も続く大激戦となった。
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上陸作戦決行前に行われたアメリカ軍の空と海からの猛攻撃も硫黄島守備隊の士気を挫
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くことは出来なかった。硫黄島守備隊の総勢約22,000人。相対するアメリカ海兵隊の上陸
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部隊は約74,000人と、数字の上ではアメリカが圧倒的優位に立っていた。
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栗林中将は島の至る所にその数およそ1,500とも言われているトーチカや掩蔽壕(えん
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ぺいごう)を作り、それらを総延長25kmものトンネルで繋ぎ合わせるという作戦を取っ
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た。トンネル内を移動することで日本兵の姿は神出鬼没となった。勝ち目のない地上戦を
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避け、地下に身を潜めてひたすら勝機を伺った。
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海兵隊員の間では日本兵の姿を見たことがないという声が聞こえる程徹底した作戦だっ
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た。しかし、戦車や火炎放射器などを駆使する海兵隊に次第に追い詰められていった。
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2月23日には硫黄島の南端にある摺鉢山山頂に星条旗が翻った。島の北部にある日本軍
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の拠点までの道のりはまだまだ遠く、日米双方の犠牲者の数は止まるところを知らなかっ
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た。
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3月16日、硫黄島守備隊は東京に向けて訣別の知らせを打電した。3月23日、小笠原の
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父島に入った通信を最後に硫黄島からの連絡は全く途絶えた。3月26日、アメリカは硫黄
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島完全制圧を宣言した。
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この戦いでの戦死者は日本側21,000人、アメリカ側7,000人。実に、海兵隊員の3人に
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1人は負傷または戦死するという状況だった。
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太平洋戦争での最激戦地となった硫黄島の重要性は、日米双方にとり極めて大きかった
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といえる。日本にとって、硫黄島はマリアナ基地のB29を叩くための重要拠点であり、い
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ち早くB29による日本本土空襲に対する警報を発令する役目を担っていた。
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アメリカにとって硫黄島を手に入れることは、マリアナからの日本本土空襲に於いて中
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継着陸点を確保するという意味を持つ。マリアナから日本まで、往復およそ14時間の飛行
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中に機体に異常が発生すれば、広大な太平洋上に不時着水しなければならなかったが、硫
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黄島に緊急着陸出来るようになると、B29の搭乗員の安心感は増大した。
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硫黄島は航法上の位置確認地点としても利用でき、B29の出撃時に硫黄島を基地とする
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護衛戦闘機を付けることも出来た。
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また、硫黄島を中継基地とすれば、B29の行動範囲は約700マイル延び、それまでは届
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かなかった北海道や朝鮮半島も攻撃可能範囲内に入った。
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もはやB29の攻撃を防ぐ手だてを失った日本の敗戦は、秒読み段階に突入していった。
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